テケテケの絵を見た浅野のリアクション
小学生の調理には大人の指導が必要
肝試し開始の時間が早くない?
最初の方の人とか、こんなに明るかったら全然怖くないよね。
光、時の果てより来たるべし
ギネス級に首が長い校長の愛する懐中時計に刻まれたこの言葉には、一体どんな意味があるのだろうか。実際のところは、脚本の段階で何かしら伏線ぽいものを作ろうとした結果、生み出されただけのものなのかもしれない。しかし、当調査委員会ではこの言葉をしっかり考えていきたい。
映画終盤で浅野もこの言葉をしゃべるのだが、実際に具体的な意味を示す描写がないようなので、まさに妄想で結論付けるしかないかもしれない。
少しでもわかりやすくするために現代語訳してみよう。
「光、時の果てより来たるべし」→「光は時の果てから来るだろう。」
ここで言う光が、浅野の言葉から考えて大時計から花壇に向けられた光だとすると、どういう解釈ができるだろうか。
ヌシはなぜ南小学校に?
衝立(ついたて)の行方
泥棒の浅野がお寺から盗み出した衝立は、享保元年(1716年)に殿様から直々に拝領したと言われている寺の宝だった。
お化けの世界に置いたままにしていたこの衝立は、結局どうなったのだろうか。衝立が完全に失われたとすれば、ゲームギア好きの和尚さんがただただかわいそうでならない。無論、衝立を盗んだ張本人である浅野は反省する様子もなく、エンディング直前、またもやどこかの仏像を盗んでいるのだが。
南小学校の潤沢資金
ちょっと改めて考えて欲しい。映画の舞台である南小学校はいかにもド田舎、さらに時代は90年代半ばである。そんないかにも昭和な雰囲気の残る木造の小学校にマッキントッシュが少なくとも20台はあるというのは驚きである。いったいここの学校の資金やカリキュラムはどうなっているのだろうか。
これについて、もっとも現実的な結論を出すとすればこうなる。実は南学校は歴史的にとても価値のある小学校で、県または市から特別な援助をもらっていたのかもしれない。古臭い木造校舎のイメージを払拭して児童数を維持するためにも、その援助によりMacを配備した。そう考えると、20台もある最新メカの疑問は解決する。
故スティーブ・ジョブズ氏はこの映画を観てくれていただろうか。
過去に大時計が止まったとき
和尚さんの話によれば、過去に学校の大時計が止まったときには一騒動起こったそうだ。
30年前は例の校長先生殺害事件、20年前は和尚さんの盲腸、12年前にはイナゴが大発生。盲腸の話は個人的すぎる気もするが、こんなことを語っている。
東宝がやる気を出して、「学校の怪談2 zero」みたいな前日譚の映画を製作してくれたら失神して喜ぶかもしれない。
鋭意考察中なう。
何かあればドシドシ報告を頼む!→調査書送信
そもそもヌシは消滅したのか
花子さんの存在
第1作目においても花子さん最強説が出てきたが、今回も同じようなことが言えるかもしれない。
まず、4月4日に大時計が午後4時44分で止まった時、校庭に突如として花子さんが現れた。そして花子さんの不気味な笑い声とともに、南小学校は彼女の影に覆い尽くされていく。そう、主人公たちの現実世界からお化け世界への移動は、何を隠そうこの花子さんの仕業なのである。
実は時計塔の“ヌシ”は、花子さんと共謀していたのではないだろうか。ヌシがしっかりとケンをおびき寄せて時計を午後4時44分で止められたら、花子さんが学校全体を異次元の世界に包み込むという約束をしていたのでは・・・。花子さんにとってはただのお遊びに過ぎず、ヌシが子どもたちを怖がらせているのを、花子さんは面白がって見ていたのではないか。
学校の怪談2は、全体的にお笑い要素溢れるストーリーであったが、花子さんはただただ異質な空気を漂わせている。終盤に学校が崩壊していく様子を校庭で眺めている花子さんの後ろ姿は、どこかつまらなさ気にも見えるのだが、あなたはどう感じるだろうか。